唐人屋敷。
唐人屋敷(とうじんやしき)とは、長崎に来航した中国人を居住させた区画。密貿易への対策として元禄元年(1688年)に幕府が建設に着手し、翌元禄2年(1689年)に完成した。竣工当時の面積は6,900坪余で、宝暦のころには9,373坪あったとされる。
建てられたのは十善寺郷にあった幕府御薬園の土地で、現在の長崎市館内町のほぼ全域にあたります。周囲を練塀で囲み、その外側に堀、さらに外周に竹垣を設けた三重の構えでした。入口には門が二つあり、外側の大門の脇に番所が置かれています。一度に2,000人から3,000人の中国人を収容できたと伝えられます。
出島との広さの差
寛永18年(1641年)にオランダ商館が移された出島は扇形の埋立地で、面積は3,969坪、およそ1.5ヘクタールとされます。唐人屋敷はその倍近い広さで、四つの口のうち長崎口が抱えていた二つの区画のうち、面積の大きい側にあたります。「鎖国」の絵として出島が代表に置かれる見方は、後世の視点に寄ったものといえます。
いま残るもの
建物の大半は失われましたが、区画のなかに土神堂・天后堂・観音堂・福建会館といった中国系の堂宇が残り、跡地は長崎新地中華街の東側に隣接する一帯として歩けます。
補足:面積・収容人数・拡張の年代は資料により幅がある。最新の一次情報での確認を推奨する。関連:四つの口。