軍役。
軍役(ぐんやく)とは、主君が家臣に課した軍事上の負担・奉仕のことです。江戸幕府のもとでは、大名は与えられた石高に応じて人馬と武具を備え、将軍の求めに応じて出仕・従軍する義務を負いました。
戦のない時代にも、軍役は消えません。江戸城の門番、火の番、河川や城の普請といった勤めが、平時における軍役として大名に割り当てられました。「勤め」を果たすために主君のもとへ出向くという形そのものが、軍役の一部だったわけです。
参勤交代との関係
藤本仁文「参勤交代制の変質」(『洛北史学』第14巻、2012年)の抄録は、参勤交代制について、幕府が指定した時期を全大名が忠実に守って交代を繰り返すことにより、江戸や全国各地の軍事力配備、すなわち軍役体系を維持する点に本来の意味と機能があった、と述べています。参勤交代を「大名の財力を削ぐ仕組み」ではなく「軍役の仕組み」として見る立場です。
この見方に立つと、大名行列が武装している理由も、寛永令が参勤を命じる同じ条で従者の削減を命じている理由も、無理なく読めます。兵を率いて主君のもとへ参る形が求められ、しかし人数の膨張までは求められていなかった、ということになります。
「役」という言葉
近世の「役」は、身分に応じて負う公的な負担全般を指す言葉です。百姓が負う年貢や夫役、町人が負う町人足役と並んで、武家が負うものが軍役でした。身分ごとに負担の中身が違い、それぞれが幕藩体制を支える柱として組み合わされていたと整理されます。したがって軍役は、単なる兵役ではなく、主従関係を目に見える形で確かめ続ける手続きでもありました。
補足:参勤交代と軍役体系の関係についての記述は、藤本仁文「参勤交代制の変質」(『洛北史学』第14巻、2012年、74-98頁)の公開抄録による。関連:参勤交代は、将軍への軍役として始まった。その意味が失われたのは、十八世紀の半ばである。/文久の改革/四つの口