問鉄砲。
問鉄砲(といでっぽう)とは、関ヶ原の戦いで、なかなか寝返りを決行しない小早川秀秋に業を煮やした徳川家康が、松尾山へ向けて鉄砲を撃ちかけ、旗色を決めるよう催促したとされる逸話。「問い鉄砲」とも書く。
これに震え上がった秀秋がついに東軍へ寝返り、戦いが一気に決着した——という筋書きで、ドラマや小説でもおなじみの劇的な場面です。関ヶ原を語るうえで、長く「見せ場」として親しまれてきました。
近年は「なかった」とする見方も
ただし、この逸話は「諸説あり」と添えておくべきものです。近年の研究では、当時の一次史料に問鉄砲の記述が見当たらないこと、宣教師の記録には「秀秋は開戦とほぼ同時に東軍へ付いた」とするものがあることが指摘されています。さらに、家康の本陣から松尾山までは1キロメートル以上あったとされ、当時の火縄銃の有効射程(およそ100メートル前後といわれます)ではとても届きません。
断定はしない
こうした点から、問鉄砲は後世に整えられた物語ではないかと見る研究者が少なくありません。とはいえ「なかった」と言い切れる決定的な証拠があるわけでもなく、有力な異説があるものとして、慎重に扱うのが穏当です。
補足:史料の解釈や距離・射程の見積もりには幅がある。細部は最新の一次情報・研究での確認を推奨する。