用語辞典 — ツギノテ。LEARNGLOSSARY

シュリーフェン計画

シュリーフェン計画(schlieffen-plan)とは、第一次世界大戦の開戦時にドイツがとったとされる作戦構想の呼び名。東のロシアには当面守りに徹し、西では右翼を大きく振り回してベルギー経由でフランス北部へ回り込み、短期でフランスを屈服させる案として説明される。

名の由来は、1891年から1906年までドイツ参謀総長を務めたアルフレート・フォン・シュリーフェンです。1914年に実行したのは後任のヘルムート・フォン・モルトケ(小モルトケ)で、モルトケが右翼の兵力を削った点はしばしば批判の対象になってきました。

実際に起きたこと

ドイツ軍は1914年8月4日にベルギーへ入り、フランス北部へ回り込みました。しかし9月のマルヌ会戦で前進が止まり、モルトケは会戦後に解任されます。その後、両軍が互いの北の端を取ろうとして戦線が北へ伸び、11月末には北海からスイス国境までの塹壕線ができました。

存在をめぐる論争

1999年、テレンス・ズーバーが「シュリーフェン計画再考」を発表し、この計画はドイツの戦争計画としては存在せず、戦後にドイツの将校たちが自らの失敗を覆うために作り上げたものだと論じました。テレンス・ホームズらが2001年以降に反論し、専門誌『War in History』を舞台に議論が続いています。

補足:この用語は、内容も存在も定説として固まっていない。「計画があって、それが崩れた」という筋書きを前提にせず、出来事の順序と史料の由来を分けて確認することを推奨する。