治承・寿永の乱。
治承・寿永の乱(じしょう・じゅえいのらん)とは、1180年(治承4年)から1185年(元暦2年)にかけて、源氏を中心とする勢力と平氏が争った内乱。いわゆる「源平合戦」を指す。
以仁王(もちひとおう)の挙兵をきっかけに各地の武士が立ち上がり、富士川、倶利伽羅峠、一ノ谷、屋島などの戦いを経て、平氏はしだいに西へ追い詰められました。
壇ノ浦での終幕
乱の最後の一戦が、1185年(元暦2年)3月24日の壇ノ浦の戦いです。長門国の壇ノ浦(いまの山口県下関市)で行われた海戦で平家は滅び、およそ6年に及んだ争いに終止符が打たれました。安徳天皇と二位尼が入水し、三種の神器のひとつである剣が海に沈んで戻らなかったのもこの戦いです。
武家の世へ
この乱のなかで、源頼朝は東国に武士の政権を築いていきました。壇ノ浦と同じ1185年、頼朝は朝廷から諸国に守護を、荘園や公領に地頭を置く権限を認められたと伝わります。全国を武士が治める仕組みの土台がここで据えられ、日本史の教科書が鎌倉幕府の成立を1185年に置く見方をとる根拠のひとつになっています。
補足:合戦の年次・経過や兵力などの数値には資料により幅がある。守護・地頭の設置をめぐる評価や幕府成立の年の考え方にも複数の見解がある。細部は一次史料と最新の研究での確認を推奨する。