最強の歩兵たちは、なぜ「書記官」に従ったのか。
要点:カルディアのエウメネス(前362年頃〜前316年)は、マケドニア王フィリッポス2世とアレクサンドロス大王に仕えた書記官です。漫画『ヒストリエ』の主人公として知られるようになり、原作はテレビアニメ化されて2027年1月放送が発表されました。史実の彼は、大王の死後にマケドニアの精鋭歩兵を率い、二度の会戦で勝ちながら、最後は自分の兵に敵へ引き渡されて処刑されます。彼らが従った理由と、売った理由は、どちらも古典に書かれています。年代・数値は資料により幅があります。
『ヒストリエ』は、岩明均が『月刊アフタヌーン』2003年3月号から描いている歴史漫画です。文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞(2010年)と手塚治虫文化賞マンガ大賞(2012年)を受け、2026年1月にテレビアニメ化が発表されました。放送は2027年1月から、エウメネス役は島﨑信長と公表されています。
その主人公は、作者の創作ではありません。カルディアのエウメネスは、アッリアノスやプルタルコス、ディオドロスの記述に名の残る実在の人物です。ただし、漫画で描かれる「ヒエロニュモス家に拾われたスキタイ人の奴隷だった」という出自は史実にない設定で、記録に残っているのは「カルディア出身」ということまでです。以下は、古典側に書かれている彼の生涯です。
記録がすでに二通りある、その生まれ
プルタルコスの『エウメネス伝』は、いきなり二つの説を並べて始まります。歴史家ドゥリスによれば、エウメネスの父は貧しさゆえにケルソネソス(トラキアの半島部)で荷車引きをしていた男で、それでもエウメネスは学問と体育の教育を受けた。まだ少年だった彼がカルディアで格闘技や相撲の稽古をしていたところ、たまたま滞在していたフィリッポスが目を留め、家臣に取り立てた——というのがドゥリスの筋書きです。
ところがプルタルコス自身は、この話にあまり乗っていません。「他の者はもっとありそうな話を伝えている」として、フィリッポスとエウメネスの父との間に客人友好(賓客としてもてなし合う関係)があり、その縁で引き上げられたのだ、という別の説を添えます。エウメネスの父の名をヒエロニュモスとし、カルディアの有力者だったとする伝えもあります。つまり、貧しい荷車引きの子か、地元の名士の子か。出発点からすでに諸説あるのです。
後世が惹かれる「たたき上げ」の像は、古典の書き手がいちばん疑っていた説のほうでした。
ペンだけの男ではなかった
前341年頃、エウメネスはフィリッポス2世の書記官になります。前336年にフィリッポスが暗殺され、アレクサンドロスが即位すると、そのまま新王の書記官として前334年からの東方遠征に随行しました。
ここで押さえておきたいのは、彼が机の前にだけいたわけではないことです。前326年にはインド北西部(東部パンジャブ)で部隊の指揮を任され、前324年にスサで行われた大量の集団結婚では、ペルシアの大貴族アルタバゾスの娘アルトニスを妻に迎えています。大王が功臣に配ったこの縁組みの列に加わっていたということは、彼が単なる事務方ではなく、王の内側の人間として数えられていたことを意味します。書記官という職名は、実務の中身を小さく見せてしまう名前でした。
前323年、ペンが剣に変わる
前323年、アレクサンドロスがバビロンで没します。後継者を決めきれなかった将軍たちは、帝国の各地を分け合いました。エウメネスに割り当てられたのはカッパドキアとパフラゴニア——小アジア中央部です。ただし、この二つの地は名目上の割り当てで、まだマケドニアの支配下に入っていませんでした。彼は自分の任地を、自分で取りに行かなければならなかったのです。
やがて後継者たちの戦争(ディアドコイ戦争)が始まります。エウメネスは摂政ペルディッカスの側に立ち、前320年には、当時もっとも勇名の高い将軍のひとりだったクラテロスを戦場で破りました。しかし同年ペルディッカスが死ぬと、彼は一転して「討たれるべき側」になります。アジアのマケドニア軍全体の指揮権を得たアンティゴノス(隻眼王)に、エウメネスを片づける任務が与えられたのです。
図:エウメネスが動いた範囲の概略(模式図/位置は概略)。海岸線・国境・縮尺・座標は正確ではなく、経路も実際の行軍路ではありません。ガビエネの正確な位置は現在も確定しておらず、イラン中部のガバエ(現在のイスファハン付近)周辺と推定されています。
ギリシア人であることが、ずっと重かった
ここで、彼の最大の弱点に触れなければなりません。エウメネスはギリシア人であって、マケドニア人ではありませんでした。マケドニアの精鋭を、王家の血筋でもない外国人の書記官が指図する——当時のマケドニア将兵の感覚では、これは無理のある構図でした。彼を殺せば恩賞にあずかれると考える者は、味方の陣中にもいたはずです。
そこで彼が取った手が、独特です。ディオドロスによれば、エウメネスは陣中に天幕を張り、その中に空の黄金の玉座を据えて、王笏と王冠を置きました。アレクサンドロスはすでに死んでいます。それでも将軍や太守たちは毎日この天幕に集まり、玉座の前に供物を捧げ、そこで軍議をしたのです。
これは、命令系統を作らないための工夫でした。誰かを総司令官に立てれば、互いの嫉視で軍が割れる。ならば、亡き王を空席のまま最上位に据え、自分も含めた全員が「その前で相談する者」に横並びしてしまえばよい。エウメネスは、自分の権威が足りないことを認めたうえで、権威そのものを別のところから借りたわけです。
天井から馬を吊った男
工夫の人であったことは、別の場面にも残っています。前319年、アンティゴノスに追われた彼は、カッパドキアとリュカオニアの境にあるノラという小さな城砦に、わずかな騎兵と歩兵とともに籠城しました。アンティゴノスは周囲に壁を築いて包囲します。
問題は、狭い砦の中で人と馬が鈍っていくことでした。プルタルコスによれば、エウメネスは砦でいちばん大きな部屋を兵の歩行場に割り当て、はじめはゆっくり、次第に速く歩かせました。馬については、首に太い革帯を回して天井から滑車で吊り上げ、後脚は地につけたまま前脚の先だけがかろうじて床に触れる状態にしたといいます。そうすれば馬は体を支えようともがき、汗をかき、脚を保てる。籠城のあいだ、彼は戦力の劣化を工学で押し返そうとしていました。
そして、銀盾隊は輜重を選んだ
最後は前317年から前316年にかけての二度の会戦です。パライタケネ、そしてガビエネ。エウメネスの主力には、アルギュラスピデス(銀盾隊)と呼ばれるマケドニアの老練な歩兵たちがいました。アレクサンドロスの遠征を戦い抜き、長槍を揃えるファランクスを実戦で磨いた、まさしく当時最強の歩兵団です。
プルタルコスとディオドロスによれば、ガビエネでエウメネスは戦闘そのものには勝っていました。ところが、軍の輜重(荷駕籠)を敵に奪われてしまいます。この荷の中には、銀盾隊が三十年におよぶ遠征で積み上げた戦利品と、彼らの家族が入っていました。
アンティゴノスの返答は明快でした。輜重を返してほしいなら、エウメネスを渡せ。銀盾隊は、そのとおりにしました。彼らは自分たちの司令官を縛って敵陣へ送り、前316年から315年の冬、アンティゴノスは彼を処刑します。
従った理由と、売った理由は、地続きです。彼らがエウメネスに従ったのは、彼が「アレクサンドロスの前で相談する者」の一人としてふるまい続けたからでした。そして彼らが彼を手放したのは、その借り物の権威が、三十年ぶんの荷より軽かったからです。血筋も出自も持たない者が組織を動かすとき、最後に残る足場はどこにあるのか——エウメネスの生涯は、その問いへの答えというより、問いそのものの形をしています。
作品が追いついていない場所
ところで、ここまで書いてきた後半部分は、『ヒストリエ』ではまだ描かれていません。単行本は2024年6月21日発売の第12巻までで、物語はフィリッポス2世の時代——前338年のカイロネイアの戦いのあと、王妃たちをめぐる宮廷の話に差しかかったところです。大王の東征も、後継者たちの戦争も、まだ先にあります。
連載は長期の休載に入っています。作者は2024年8月号で、完成原稿を描き貯めることと進行を速める方法を探ることを理由に挙げ、休載を続けると告知しました。したがって、2027年1月から放送されるアニメで観ることになるのも、物語の前半にあたる部分です。
エウメネスがどのように終わるかは、いまのところ古典の側だけが知っています。もし作品の続きを待つあいだに手持ちが欲しくなったら、プルタルコスの『エウメネス伝』は短く、日本語訳も出ています。結末を知ってから読み返す漫画は、初読とは別の物語になるはずです。