修善寺の大患。
修善寺の大患とは、1910(明治43)年8月、伊豆・修善寺で療養中だった夏目漱石が大吐血し、生死の境をさまよった出来事の呼び名。医師によれば、約三十分のあいだ脈が触れない状態になった。
「大患」は大きな病、という意味の語です。地名を冠して呼ばれるのは、この一件だけではありません。
何が起きたか
その年の6月、漱石は胃潰瘍で長与胃腸病院に入院しました。『門』を書き終えた直後のことです。7月末に退院し、8月6日、医師の許しを得て修善寺の菊屋旅館へ向かいました。
8月17日に吐血。8月24日の夜には、約800グラムの血を三度に分けて吐き、危篤に陥りました。主治医は森成麟造。脈の触れない時間が、確かにありました。
本人はどう書いたか
回復後、漱石は随筆『思い出す事など』でこの体験を振り返り、「実に三十分の長い間死んでいたのであった」と記しました。三十分という数字は、本人の記憶ではなく、あとで医師たちから聞かされた報告です。随筆は漱石がまだ入院中の1910年10月29日から翌年4月13日にかけて、朝日新聞に断続的に連載されました。
補足:漱石が泊まった菊屋旅館旧本館二階の部屋は、現在は静岡県伊豆市の修善寺虹の郷へ移築され、夏目漱石記念館として残っています。関連:夏目漱石は、死んでいたことを、あとから知らされた。