モハーチの戦い。
モハーチの戦い(mohacs-battle)とは、1526年8月29日、ハンガリー南部のモハーチ付近で、ラヨシュ2世が率いるハンガリー王国軍がスレイマン1世のオスマン帝国軍に敗れた戦い。ラヨシュは戦場から逃れる途中で死亡した。
この一日で、ハンガリーとボヘミアを治めていたヤギェウォ家の王統が絶えました。中央ヨーロッパの勢力図が大きく動く節目として扱われます。
継承をめぐって王が二人
ラヨシュの姉アンナは、1515年のウィーンでの二重結婚の約束にもとづき、ハプスブルク家のフェルディナントと結ばれていました。フェルディナントはこれを根拠に継承を主張し、ボヘミアでは1526年11月23日に国王に選出されます。相続ではなく選挙です。
ハンガリーでは事情が違いました。貴族層が割れ、11月10日にサポヤイ・ヤーノシュが国王に選ばれて戴冠し、フェルディナントの選出は翌1527年でした。王が二人並び立ち、内戦になります。
三つに分かれたハンガリー
その後ハンガリーは、数十年にわたってオスマン帝国の直轄領、ハプスブルク家の支配地域、トランシルヴァニア公国に分かれた状態が続きました。
補足:両軍の兵力・死傷者の数値は資料により幅がある。両王の選出日・戴冠日についても記述の異なる資料があるため、細部は一次史料と最新の研究での確認を推奨する。