出来事・日本史 — 2026.10.17 NO.093 / TSUGINOTE LEARN

新橋―横浜の鉄道は、実は海上の「高輪築堤」を走っていた。

赤レンガの駅舎のホームに、洋装と和装の人々が並んで出迎える中、黒い蒸気機関車が白煙と黒煙を上げながら到着する

要点:1872年に開業した日本初の鉄道、新橋―横浜間は、東京・高輪の海の上に土を盛った「高輪築堤」の上を走っていた。軍が土地を渡さなかったためとする説が有力だが、沿線の立ち退き問題も絡んだとする異論もある。建設を指導した英国人技師は、開業を見ることなく世を去った。この築堤の遺構は2019年に出土し、2021年に国の史跡となったが、保存と公開の計画は今も動いている途中である。

2019年4月、東京・高輪のビル解体工事の現場で、重機の下から石を積んだ堤の跡が姿を見せた。基礎工事の邪魔ものとして扱われてもおかしくなかったその石は、のちに国の史跡に指定されることになる。掘り出されたのは、1872年に開業した日本初の鉄道、新橋―横浜間を支えていた「高輪築堤」であった。

開業の日にあたる10月14日は、のちに「鉄道記念日」と定められた。今月もその日をすでに過ぎているが、地面の下から出てきた堤の行く末は、まだ決まっていない。

仮開業と本開業、ふたつの「最初」

日本初の鉄道は、実は二段階で走り始めている。明治5年5月7日(新暦1872年6月12日)、品川―横浜間が単線で仮開業した。新橋側の区間がまだ完成していなかったためである。運転本数は当初1日2往復、やがて8往復まで増えたと伝わる。新橋―横浜間が正式に開業したのは、同年9月12日(新暦10月14日)であった。この日が、のちの鉄道記念日の由来になっている。全長は約29km、所要時間は53分だったという。

海の上に線路を敷いた、ふたつの言い分

新橋側の工事が遅れたのは、高輪一帯が軍事上の要地とされ、陸軍の前身である兵部省が土地の引き渡しを拒んだためだと語られてきた。西郷隆盛も反対にまわったと伝わる。それでも鉄道建設の最高責任者だったとされる大隈重信の決断で、海の上に土を盛って線路を通す工事が始まった。田町側では、積んだばかりの土が何度も波にさらわれたという。地図研究家の今尾恵介氏は、この定説に異を唱えている。軍の反対だけでなく、東海道沿いに家が建て込んでいたため、立ち退きと補償の手間を避けた面もあったはずだという指摘である。どちらの事情も、史料の上では併存している。

指導した技師は、開業を見ていない

建設を指導したのは、英国人技師エドモンド・モレルである。1841年に生まれ、セイロン(現在のスリランカ)での鉄道建設を経て、1870年に来日した。枕木には輸入材でなく国産の木材を使うよう提言した人物として知られる。だが、モレルは過労と肺結核のため、開業を待たずに1871年に世を去った。妻もまた、後を追うように亡くなったと伝わる。ふたりは横浜外国人墓地に並んで眠っている。

運賃は、今でいうどれくらいか

開業時の運賃は上等・中等・下等の3階級に分かれ、それぞれ1円12銭5厘、75銭、37銭5厘であった。港区の広報紙「広報みなと」2022年9月21日号は、これを現在の貨幣価値に照らすと、上等がおよそ1万5千円、中等が1万円、下等が5千円に相当すると紹介している。ただし算出の根拠は示されておらず、時期や基準を変えれば数字は動く、幅のある目安として受け止めるべきである。同じ区間を走る今のJR線、新橋―桜木町間(かつての横浜駅があった場所)の運賃は、経路によって480円から530円ほどである。

等級開業時の運賃(1872年)今の貨幣価値の目安
上等1円12銭5厘約1万5,000円
中等75銭約1万円
下等37銭5厘約5,000円
片道1万5千円を払った乗客がいた区間を、今は500円に満たない額で走れる。150年という歳月は、移動の値段をそれほどまでに塗り替えた。

地面の下から出てきたものが、まだ行き先を探している

2019年4月に見つかった高輪築堤の遺構は、2021年に国の史跡に指定された。JR東日本は2023年の時点で、2027年度中の保存・公開を見込んでいると発表していた。2025年7月には整備の基本計画がまとめられたが、2026年には一部の区画について、解体・復元ではなく現状のまま土の中に保存する方針へと計画が見直されている。公開の時期が当初の見通しのままなのかどうかは、本紙が確認できた資料の範囲では分からなかった。

鉄道記念日は、今月すでに過ぎている。だが高輪の地面の下に埋め戻された堤は、150年前と同じように、まだ次の行き先が決まっていない。

出典:港区「広報みなと」鉄道コラム(開業時の運賃1円12銭5厘・75銭・37銭5厘と、現在の貨幣価値への換算目安)/現代ビジネス「6月12日 日本初の鉄道が走り出す(1872年)」(品川―横浜間の仮開業の経緯・運転本数・兵部省と西郷隆盛の反対・大隈重信の決断・田町側の築堤工事の難航)/乗りものニュース「日本初の鉄道建設に関わった"しょこたん"のご先祖『高輪築堤』だけじゃない その名残を追う」(高輪築堤の発見経緯・史跡指定・今尾恵介氏による異論)/新潮社「Web日本鉄道旅行地図帳 BLOG」(技師エドモンド・モレルの経歴と横浜外国人墓地)/ニッポン旅マガジン「日本初の鉄道は『高輪築堤』などの海上ルートを採用!遺構は2027年度公開へ」(保存・公開計画の経緯)/港区「高輪築堤5・6街区について」(2026年の保存方針の見直し)。本紙が2026年10月17日に上記各ページを確認した。
EDITOR'S NOTE — トキ:軍が土地を拒んだという定説と、立ち退きを避けたという異論。このふたつは対立しているようでいて、どちらも「面倒を避けた」という点では同じ顔をしている。海の上に線路を敷くという力業は、技術の話であると同時に、政治の話でもあったのだろう。

編集責任者:Tatsuki Morohashi(発行人・運営者情報) / 最終更新:2026.10.17
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