『羅生門』の最後の一行は、
二度書き替えられている。
要点:いま読める『羅生門』は「下人の行方は、誰も知らない。」で終わります。けれど1915年11月「帝国文学」の初出は、この一文ではありません。1917年の第一短編集『羅生門』でも、まだ別の一文でした。三つ並べると、書き替えられたのは語尾ではありません。消えたものが一つあり、そこで読者の仕事が増えています。高校一年で最初に出会う小説の、最後の一行だけの話です。
下人の行方は、誰も知らない。
芥川龍之介「羅生門」の最後の一文です。老婆の着物を剥ぎ取った下人が、門の下の闇へ駆け下りていく。その先を、語り手は追いません。この一行の突き放し方に覚えがある人は多いと思います。1957年から教科書に載り続けている作品です。
ただ、この一行は最初から在ったものではありません。発表からおよそ二年半のあいだに、結びは二度書き替えられています。改稿の跡がそのまま残っている、めずらしく分かりやすい例です。
1915年、1917年、1918年
「羅生門」が世に出たのは1915(大正4)年11月、東京帝国大学の雑誌「帝国文学」でした。芥川はまだ在学中の学生で、これが五作目の短編です。発表時、作品はさして評判にならなかったと伝えられます。
| 版 | 刊行 | 結びの一文 |
|---|---|---|
| 初出「帝国文学」 | 1915年11月 | 下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ強盗を働きに急ぎつゝあつた。 |
| 第一短編集『羅生門』(阿蘭陀書房) | 1917年5月 | 下人は、既に、雨を冒して京都の町へ強盗を働きに急いでゐた。 |
| 短篇集『鼻』(春陽堂・新興文芸叢書) | 1918年7月 | 下人の行方は、誰も知らない。 |
一段目から二段目は、読点が一つ減り、文末が「急ぎつゝあつた」から「急いでゐた」に締まっただけです。書き手の耳の調整、という程度の差でしょう。
二段目から三段目で、別のことが起きています。
消えたのは、行き先です
初出と1917年版は、下人がどこへ向かったかを書いています。強盗を働きに、京都の町へ。読み終えた読者は、下人がその後の生き方を選んだことを、語り手から教えられて本を閉じます。老婆の論理に押されて悪へ踏み出した、という筋の結論がそこにあります。
最終形にそれはありません。「行方」という語だけが残り、中身は空白になっています。しかも空白にしたのは読者ではなく、語り手自身です。知らない、と申告しています。
書き替えられたのは一文ではなく、語り手の立っている場所です。
初出の語り手は、門の外まで下人についていける位置にいました。最終形の語り手は門の下に残り、闇に消える背中を見送るところで足を止めます。同じ出来事を語りながら、知り得る範囲が縮んでいる。この縮み方が、あの一行の距離感をつくっています。
どちらが良い、という話にはしません。行き先が書かれた版には、下人の転落を読者に確認させる強さがあります。ただ、行き先が消えた版でしか生まれないものもあります。読者が下人の続きを引き受けてしまう、という事態です。授業で「下人はこの後どうなったと思うか」と問えるのは、三段目の本文だからです。
最後の一文から読む、という練習
この一件は、読解の道具としても使えます。小説を読むとき、最後の一文だけを先に眺めてみる。そこで三つのことが分かります。
ひとつ、語り手がどこにいるか。人物の内側にいるのか、外から見ているのか、外にいて「知らない」と言うのか。ふたつ、語り手が何を知っていることになっているか。全部を知っている語り手と、途中で情報が切れる語り手では、読者の疑い方が変わります。みっつ、読者に何が残されたか。答えが置かれているのか、空白が置かれているのか。
「羅生門」はこの三つが最後の一文だけで切り替わった実例です。文末が変わると視点が動く、と言葉で説明されるより、二つの本文を並べたほうが早い。国語の教材としての強さは、たぶんここにもあります。
なぜ、いま
7月24日は河童忌でした。1927(昭和2)年のこの日、芥川龍之介は35歳で自ら命を絶っています。生前に河童の絵を好んで描き、晩年に「河童」を書いたことから、この名で呼ばれる文学忌です。来年の2027年で、没後100年になります。
教科書のほうの歴史も、意外と新しいものです。「羅生門」が国語教科書に初めて載ったのは1957(昭和32)年、明治書院『高等学校 総合2』・数研出版『日本現代文学選』・有朋堂『国文現代編』の三冊でした。戦前は小説そのものが教材になることがめずらしく、この年、夏目漱石「こころ」や森鷗外「舞姫」も同時に採用されています。その後は定番教材となり、2003(平成15)年の『国語総合』では、全社の教科書に「羅生門」が載る状態になりました。日本近代文学館は、この事情を「教科書のなかの文学/教室のそとの文学」という展覧会のシリーズで扱っています。第1回(2017年)が「羅生門」で、現在開催中の第4回は漱石「こころ」です(2026年6月27日〜9月5日)。
教室で読んだ記憶のある一行が、実は三番目の案だった。そう知って読み直すと、あの突き放し方が、突き放すために選ばれたものだと分かります。
次に開く一篇
青空文庫の「羅生門」(新字新仮名)で、通しでも二十分ほどです。今回は変わった読み方をおすすめします。先に最後の一文だけを見て、それから頭から読む。語り手が最後にどこで足を止めるかを知って読むと、途中の「作者はここでも下人の内側に入っている」という箇所が拾えます。
もし一篇足すなら「鼻」を。最終形の結びが載った短篇集の書名になった作品で、漱石が激賞して芥川の名が広まった一作です。こちらも最後の一文で、語り手が距離を取ります。
編集責任者:Tatsuki Morohashi(発行人・運営者情報) / 最終更新:2026.07.30
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