月へ8日、帰ってから21日。
要点:「アポロ11号」と聞いて思い浮かぶのは、1969年7月20日の月面着陸と「小さな一歩」でしょう。けれど物語はそこで終わっていません。ケネディ大統領が1961年に掲げた目標は「月に人を着陸させ、安全に地球へ帰還させる」こと。つまり後半の「帰還」までが任務でした。きょう7月24日は、その帰還の日。57年前、3人の宇宙飛行士は太平洋に着水し、そして「月の病原体」を警戒した21日間の隔離生活に入ります。8日間の往復と、意外に知られていない帰還後の日々を振り返ります。
1969年7月24日(現地時間)、ハワイの南西の太平洋に、焦げ跡のついた小さな円錐形の物体が3つのパラシュートでゆっくり降りてきました。アポロ11号の司令船「コロンビア」です。中には、ニール・アームストロング、バズ・オルドリン、マイケル・コリンズの3人。打ち上げからちょうど8日と3時間18分35秒——人類が初めて月面に立った旅は、この着水をもって完了しました。回収にあたった空母ホーネットまでは、わずか12海里(約22キロメートル)。狙いどおりの海に、狙いどおり帰ってきたのです。
私たちはこの物語を、つい7月20日の「着陸」で締めくくってしまいます。しかし当時の言葉を確かめると、任務の定義そのものに「帰り道」が含まれていたことが分かります。
ケネディの一文は、後半が本題だった
1961年5月25日、ケネディ大統領は連邦議会でこう宣言しました。「この10年が終わるまでに、人間を月に着陸させ、安全に地球へ帰還させる目標を、この国は達成すべきである」。よく引用されるのは「月に着陸させ」の部分ですが、文はそこで終わっていません。行くことと同じ重さで、帰らせることが国家目標に書き込まれていました。
実際、月への往復は「行き」よりも「帰り」の設計が難しい挑戦だったと言われます。月面から離陸するエンジンは一度きりの点火に失敗が許されず、地球への大気圏再突入は角度を誤れば燃え尽きるか弾かれるか、という細い道でした。アポロ計画に関わった人々は延べ数十万人規模にのぼるとされますが、その多くは「無事に帰す」ための仕事をしていたともいえます。
図:地球と月の往復の大まかな流れを示す概略図です。軌道の形・距離・大きさの比率は正確ではありません(模式図)。青い弧が往路、オレンジの弧が復路を示します。月側の日付は世界標準時(UTC)に基づきます。
8日間を、早送りで
旅程を短く確かめておきます。1969年7月16日、3人を乗せたサターンVロケットがフロリダのケネディ宇宙センターから打ち上げられました。3日かけて月へ向かい、月の周回軌道に入ると、アームストロングとオルドリンが月着陸船「イーグル」に乗り移ります。コリンズは司令船「コロンビア」に残り、ひとり月を回りながら仲間を待つ役でした。
7月20日の降下は、平坦ではありませんでした。着陸直前、船内には「1202」という警報が繰り返し表示されます。管制室は即座に「続行」を判断します。これは誘導コンピューターの処理があふれたことを示す警報で、着陸を妨げるものではないと見抜いていたのです。さらに予定地点に岩が多いと見たアームストロングは手動操縦に切り替え、着陸地を探しました。「静かの海」に降り立ったとき、残りの燃料はごくわずか(約25秒分だったと伝わります)。アームストロングの第一声は「ヒューストン、こちら静かの基地。イーグルは着陸した」でした。
人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である。この有名な言葉は、月面に降りた瞬間のものです。なお原文で「a man」の「a」を言ったかどうかは録音から聞き取りにくく、いまも議論が続いています。
月面での船外活動は2時間31分。時間にすれば映画1本ほどのあいだに、2人は星条旗を立て、観測機器を置き、約21.6キログラムの岩石と砂を採取しました。そして7月21日、イーグルは月面を離陸し、周回軌道でコロンビアと合流。3日かけて地球へ戻り、7月24日の着水を迎えます。日本時間ではすでに日付が変わり、7月25日の未明のことでした。
| 日付(1969年・UTC基準) | 出来事 |
|---|---|
| 7月16日 | ケネディ宇宙センターから打ち上げ |
| 7月20日 | 月着陸船「イーグル」が静かの海に着陸 |
| 7月21日 | アームストロングが月面に第一歩(続いてオルドリン)。船外活動2時間31分ののち月面を離陸 |
| 7月24日 | 司令船「コロンビア」が太平洋に着水(日本時間25日未明)。空母ホーネットが回収 |
| 8月10日 | 3人が隔離を終えて家族のもとへ |
帰還した英雄を待っていたのは、隔離だった
着水した3人は、しかしすぐに英雄のパレードへ向かったわけではありません。ヘリコプターで空母ホーネットに運ばれた彼らがまず着せられたのは、「生物学的隔離服」でした。月に微生物がいて、地球に持ち込まれたらどうなるのか。当時、その可能性は科学的にほぼないと見られていましたが、ゼロと言い切ることもできませんでした。NASAは万一に備え、月から帰った人と物を丸ごと隔離する手順を用意していたのです。
3人は艦上で、キャンピングトレーラーを改造した「移動隔離施設」に入ります。ニクソン大統領が艦を訪れて帰還を祝いましたが、握手はできず、窓越しに言葉を交わしました。その後、トレーラーごとヒューストンの「月物質受入研究所」に運ばれ、ガラスの向こうで検査と観察の日々が続きます。隔離は月面を離れた時点から数えて21日間。アームストロングは8月5日、39歳の誕生日を隔離施設の中で迎え、ガラス越しに家族とケーキを囲んだと記録されています。8月10日、ようやく3人は解放されました。月の病原体は、結局見つかりませんでした。
この隔離は科学的には「念のため」の性格が強く、手順の実効性には当時から限界も指摘されていました。それでも「分からないものには慎重に備える」という姿勢ごと含めて、月往復という前例のない事業の一部だったといえます。なお、この検疫はアポロ14号を最後に廃止されています。
なぜ、帰還の日に振り返るのか
7月20日の着陸記念日に比べると、7月24日はずっと静かな日付です。けれど、ケネディの一文に立ち返るなら、国家目標が達成された瞬間は月面に旗が立った時ではなく、3人が太平洋の波に揺られた時でした。月に立った2人だけでなく、ひとり軌道上で待ち続けたコリンズも、警報の意味を数秒で見抜いた管制室も、隔離トレーラーを設計した人々も、この日にそろって任務を終えたのです。
華やかな「一歩」の陰にある、地味で周到な「帰り道」。57年前のきょうを振り返ると、大きな挑戦の本体はむしろ後半にあるのかもしれない。そんなことを、静かな日付が教えてくれます。