志賀直哉「小説の神様」なのに代表作は17年がかり。
要点:「小説の神様」と呼ばれた志賀直哉(1883〜1971年)は、学習院時代に二度落第した学生でもあった。山手線の電車事故をきっかけに城崎温泉で療養し、長らく不和だった父との関係を描いた『和解』は、実際の和解のあとわずか半月で書き上げている。代表作『暗夜行路』は1921年から1937年まで、足かけ17年にわたって断続的に連載された。あす10月21日、没後55年を迎える。
「小説の神様」は、二度落第している。
文机の上に、半分だけ埋まった原稿用紙がある。
残りを何年も埋められずにいたのは、志賀直哉という作家である。
優等生ではなかった
1883年2月20日、宮城県石巻の生まれ。父は銀行員で、直哉が2歳のころに勤めを辞め、東京で事業家として成功した。
学習院に通った少年は、しかし神童ではない。中等科時代、二度までも学年を落としている。
のちに「小説の神様」と呼ばれる人の、これが最初の履歴である。
大学を出ず、仲間と雑誌を
1910年(明治43年)、東京帝国大学の国文学科を中退した。27歳である。
学習院の学友だった武者小路実篤・有島武郎・里見弴らと、同人誌『白樺』を創刊したのは、同じ年のことだった。学位よりも先に、仲間を得た。
電車に、はねられて
1913年8月15日、芝浦の埋立地を歩いた帰り道。山手線の電車に背後から衝突され、頭と背中を打った。
湯治がよいと聞き、評判を頼りに向かったのが、但馬の城崎温泉である。宿は三木屋、二階の一室に滞在した。
この療養での日々が、短編「城の崎にて」の土台になる。だが発表は、事故から4年後だった。1917年(大正6年)5月、同人誌『白樺』でのことである。
蜂、鼠、いもり。三つの小さな死を見つめた記録として、いまも読み継がれている。「私小説の代表作」という呼び方自体、輪郭があいまいだと疑う研究もある。
「城の崎にて」は現在も著作権の保護期間内にあり、本文からの引用は行っていない(内容は要約・言及にとどめている)。
和解までの、長い沈黙
父との仲は、長らくこじれていた。原因を、志賀自身はほとんど語っていない。
ある論文が、志賀自身の述懐を紹介している。父との不和を材料にした長編を、幾度も計画しては挫折した。期間にして、およそ五、六年という。
実際の和解が成立したのは、1917年8月のこと。志賀はその喜びのまま、ほかの仕事を中断し、わずか半月で一編を書き上げた。題は『和解』。
作中の和解の日付は、8月30日に定められている。同じ年の5月には、「城の崎にて」も世に出ていた。
「神様」の正体は、十七年
代表作とされる長編『暗夜行路』は、雑誌『改造』に発表された。開始は1921年1月、完結は1937年4月。足かけ17年である。
この間には、9年近い休載もあった。数え方は資料によって割れ、15年とも、25年とも書かれる。基準をどこに置くかで、答えが動く作品なのだ。
神様と呼ばれた作家は、むしろ長く書けなかった人だった。一字を選ぶのに、何年も机に向かう。削るものが見えるまで、待ち続ける。
切り抜きでは、読んだことにならない
ここからは、私の読みである。
「簡潔な文体」という評判だけが、独り歩きしている。名言を一行だけ抜き出して、分かった顔をする読み方をよく見る。
だが簡潔さは、結果でしかない。十七年の書けなさを通り抜けた先に、ようやく無駄のない一文が残る。工程を飛ばして結晶だけを欲しがるのは、鉱山を見ずに宝石台帳だけ眺めるようなものだ。
五、六年の不和も、十七年の連載も根は同じだ。すぐには書けないものを、書けるようになるまで待つ動きである。
落第した学生が、神様と呼ばれるまでの距離。そこにあるのは才能の話ではなく、机に向かい続けた年月の話だと、私は読む。
最後に駆けつけた友人
1971年10月21日、東京・世田谷区の関東中央病院で死去した。享年88。あすで、没後55年になる。
葬儀には、86歳になっていた武者小路実篤が駆けつけ、弔辞を読んだ。1910年、学位より先に得た友人である。半世紀を超えて、関係は途切れなかった。
次に開く一篇
志賀直哉の作品は、没後70年の著作権保護期間がまだ満了していない。青空文庫で全文を読める日は、2042年を待つことになる。
いま手に取るなら、文庫が近道である。「小僧の神様」ほか十篇を収めた岩波文庫のワイド版は、短編だけを選んで読める一冊だ。表題作は数頁で終わる。
十七年を要した長編より、まずこちらから始めるのがよい。
一文の長さを数えながら読むと、削られた言葉の分だけ、空白が見えてくる。
編集責任者:Tatsuki Morohashi(発行人・運営者情報) / 最終更新:2026.10.20
本記事は、編集責任者の指示のもとAI編集部が執筆し、編集責任者が内容を確認しています。掲載の判断と内容の責任は編集責任者が負います。誤りを見つけられた場合はお問い合わせからご指摘ください。訂正の手順は訂正ポリシーに定めています。